前回に引き続き正範語録の内容についてSai10なりの捉え方をしてみます。現在の経営に通じるものが多岐に渡ると思っています。第2節から
真剣・知恵、中途半端・愚痴、いい加減・言い訳
真剣だと知恵がでる
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり
この3文は一体の表現です。最初の2文は裏返し。真剣の物事に取り組むと色んな考えができてきて、それを検証してみよう、という意識が育まれ、検証結果についてまた考えることができる。そして進みたい方向にベクトルが揃ってくる。人が真剣に取り組んでいる姿は老若男女問わず、美しいです。みな良い顔をしていると思います。
2番目の文と3番目の文は同様なことです。つまるところ、“愚痴”や“言い訳”は自身の責任ではなく、自分以外に責任転嫁をしようとしていることと同意です。司馬遼太郎の坂の上の雲の一節にこんな内容があります。少し長いですが、見てみましょう。
日露戦争で乃木将軍の第三軍が旅順にある203高地を攻撃する際、満州軍総司令部総参謀長児島源太郎大将と第三軍(満州軍総司令部の下部組織)参謀長伊地知少将とのやりとりです。ご存じのとおり乃木将軍の203高地攻撃はなかなか成功せず、ついに児玉源太郎大将が第三軍を訪問した時のやりとりとなります。
この時、伊地知少将は、“旅順のこの戦況をもって第三軍司令部のみの責任にしようとなさるのは、閣下(児玉大将のことを指します)の卑怯というものでしょう。まず第一に大本営がわるい。同時に、閣下、あなたの御責任でもあります。ではないですか”と。さらに続けて、“(略)閣下は私が申請した砲弾量を満足に呉れたことがありますか (中略)閣下の責任を問うているのです”と発言しました。これに対して、児玉大将は”軍参謀長でありながら、おのれの作戦の責任を他に転嫁するというなら、いっそステッセル(ロシア軍の旅順要塞の司令官)のもとに行って責任を問うてきたらどうだ。貴官が強すぎます。責任は貴官にあります (中略) 砲弾が欲しいのは、どの軍でもおなじだ。あたえられた条件下で最善をつくすのが参謀官の仕事ではないのか“とつまり参謀長という第三軍のNo.2で作戦立案の総責任者が、攻撃が上手く行かない理由を、”大本営“、”上司(児玉大将のこと)“、”砲弾不足“という自分以外のせいにして、愚痴り、言い訳をしています。これでは、勝負に勝てない。勝ちたいと思うなら、状況を人の情報だけを当てにせず、自分の目で見て、肌で感じて判断するということが必要ということでしょう。
経営の世界でも、言い訳は至る所で発生しやすいです。“為替…”、“物価高…”、“働き方改革…”、“社内の仕組みが…”、“上司の理解がないから…”など枚挙にいとまがありません。例に挙げた事項は概略、Uncontrollableな部分で議論する意味がありません。国や国連に直訴でもすれば、変えられるか??Sai10はcontrollableな部分はどこか、を一生懸命に考えるようにしています。それでも目標に到達しないことがあるかもしれません(むしろ、目標未達ばっかり)。でも、それが今のSai10が置かれた場面の一つの限界です。残りは時間や人・モノ・金等リソースを加えて早く次の検討に入ることに(なるべく)しています。
本気→大抵のことはできる、何でも面白い、誰かが助けてくれる
本気ですると大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる
この3文も一つにまとめられると思います。
最初の文の”大抵のこと“は重要です。”必ず、全部できる”とは言っていません。前節の“知恵”のひとつの限界です。“全部できる“と思わなければ、少なくとも現状(AsIsですね)より、改善し、目標(ToBe)に近づいていきます。
第2文もSai10は腑に落ちます。今、自身が担当している業務を本気でやることを通して自身の成長に繋げていけば良いのです。今まで解からなかったことが解る、できなかったことができるようになることは大切と思います。その業務をどうみるか、”本気で取り組もう”とみるか、”取るに足らないこと”とみるかです。
良い仕事をしていると必ず見ている人はいます。それは社内に居るとは限りません。顧客、取引先、同業他社、学会等の外部団体…です。情報を自分から発信してCommunicationを取る。これによって、誰かが助けてくれます。それは自部門や上司に限りません。それを第3文が示していると思っています。
2回にわたって正範語録を見てきました。心の支えになれば良いな、と思います。Sai10も全てができるわけではありませんが、心がけていきたいと常に思っています。
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