Sai10の好きなことは、Profileにも記載した通り、“歴史に触れること”です。歴史は、人が作り、その時代の人がその場面に色んな判断をして、ある結果を得てきました。その判断が、判断をした人やその周りの人にとって、良かったのか・悪かったのか、はその判断をした後で判明します。結果を知っている私たち現代人は何とでも言えますが、判断をした当事者にとっては、乾坤一擲ではなく、熟慮断行の上での判断だったはずです。その人間模様に触れることに魅力を感じています。
そうはいってもSai10は一次資料に触れることはしません(そもそも、古文は、共通一次試験(現在の共通テストの先駆けのシステム)で1問しか正解できないくらいできない人です)。本や小説、テレビ等のメディアからの情報で当然その制作者の意図が入っています。しかし、Sai10は、それで構いません。どうせ、その情報からSai10も勝手に判断する訳ですから。コナン君でありませんが、“真実はひとつ”でしょうが、それは、本人に聞いてみないと判らないことも多いことでしょう。でも、それはもうできませんしね。
今回は、武田信玄の正範語録について記してみたいと思います。
正範語録とは
正範語録は、ググってみると、何方が作成されたのかは良く分からないようです。正範語録の読み方も“せいはんごろく”なのか“まさのりごろく”なのかも解っていないようです。何でも、武田信玄が正範語録の一節を示したので、“信玄の正範語録“になったかの説もあるようです。武田信玄の旗にある”風林火山“も孫子の言葉の一節から取ったもののようなので、何方かがお話になった所を武田信玄が引用したとしても不思議ではありません。むしろ、武田信玄のような名将名君と呼ばれるくらいの人物が引用するからこそ、その一節は引き立つものです。後世まで名を残す人は上手いことを言うなあ、と思います。そして、有名な人は概して、こういうお話が上手と思います。ある意味、有名になる人の必要条件なのかもしれません。
正範語録の各行の言葉について
Sai10なりの解釈をしてみます。ベースは“Make it happen”とストーリーのような気がします。
内容はビジネス、経営でも、“なるほど”と思い、“腹落ち”することが多い気がします。ビジネスの世界だけでなく、各世代でも十分に通用する人生訓のようなものとも言えるか。。今回は最初の4行について記します。
実力の差は努力の差
“実力”と次に出てくる“実績”の差は何でしょうか。Sai10は“実力”とは、その人の持っている能力=abilityのようなもの。例えば、診断士の試験に合格するだけの知識、文章構成力、状況把握力のようなものです。これを獲得するには、ある程度の自身のレベルを上げないといけません。診断士の試験の合格には2,000時間必要と言われています。ある能力を獲得するための、自身のそれにかける自己の犠牲や周囲の環境に反して取り組むことが努力。テレビを本当は今見たいのに試験勉強するようなこと。これが努力。鮭の川登りも鮭にしてみれば、子孫防衛能力がなせる業なのかもしれませんが、私たちのように他人が見ると、重力や流れに任せればどれだけ楽に泳げるものを、わざわざ重力や川の流れに逆らって泳ぐ努力をしているように見えます。何かを手に入れるには、何かを失わないといけない。等価交換ですね(鋼錬(鋼の錬金術師)で出てきますよね)。
ビジネスでは、データを分析する能力、データを解釈する能力、情報収集する能力は、無かったものを努力して得るものです。このような努力の結果、その人の実力が培われる(レベルが上がる。今までできなかったことができるようになる)のだと思います。
実績の差は責任感の差
一方、実績は、明らかに過去の結果です。売上高、営業利益、登録特許数、持ち株の評価益等これまでの活動の結果で得られた証拠の積上げが実績となります。実績は証拠を示すことになるので、客観的なデータが必要となります。多くは数字で示される定量的な視点となるでしょうが、表彰等定性的な部分も該当できます。いずれにしろ、客観的な事象で示すことができることが“実績”です。
正範語録の2番目、3番目の節の内容に繋がるのが、責任感だとSai10は思います。だから、次回に。。
ここでは、実力と実績ではどちらが優先しますか?もちろん、両方を持ち合わせていることが最高であることは言うまでもありません。もし、どちらか、と言われたらどちらを選びますか?Sai10は“実力”を選びます。“実績”は過去のものですが、”実力“は将来への可能性を秘めているから。
人格の差は苦労の差
人格はその人が持っている人間力。人は無人島に一人で生活している人は稀で、多くの人はその人周辺を取り囲んでいる社会(Community)に属しているので、そのCommunityで醸し出される/表現される根本(ベース)が人格というものと理解しています。多くは自分以外の人に評価されます。従って、その人が置かれている環境、これまでの経験、今後どうしよう/どうなりたいと取り組んでいることが”人格”を形成するのか。”苦労“というと厳しいことばかり思い出されますが、このように”環境“、”経験“、”意識“と考えると腑に落ちるような気がします。ただ、”苦労“はNegative Wordのように感じられ、”若い時の苦労は買ってでもせよ“なんて言われるくらい、多くの方は避けたがります。当然Sai10もそうです。”苦労“かどうかは、その場面に居る人だけが感じることなので、”成長の源泉“と考えられるなら、”苦労“をAcceptできるか??”苦労=成長の源泉“なら、その暈が大きいとそれだけ”人格“を形成するポケットが多いので、人間力が深まるのは自然と思います。
判断力の差は情報の差
情報とありますが、本当は“正しい情報”のみが判断に寄与すべきです。間違った情報だと判断が間違えることはあります。太平洋戦争のMidway海戦は情報戦に負けたとも言われています。物理量は統計のように数字で表現される情報には、一意に決まる、と考えがちですが、物理の世界でも、仮定やモデルとなる前提条件があります。間違っている、とまで言わなくても不正確な情報に、前提条件が異なる数字の比較をしてしまうことは、ままあります。人は欲しい情報、こうあって欲しい情報にはフィルターや色眼鏡で観がちです。注意しましょう。ビジネスの世界でも同じと思います。正しい情報であれば、普通の判断力でほぼ対応できると思います。
では、どうしたら、正しい情報が入手できるか。一次データにあたったり、複数の情報源から情報を入手しようとしたり、といった手段が考えられます。しかし、これも易しくない。Sai10は、同じ方法で入手した情報の変化を見るようにしています。その変化(差や変化率)の発生要因を見ると何か解るかも。差や変化のお話しは前回の品質のところでお話ししたことと同じです。変化に着目するのは大切ですね。
先ほどのMidway海戦で、日本海軍が陸上爆撃機から攻撃を受けていたのが、艦上爆撃機からの攻撃に変化したとき、敵の航空母艦が近くにいると即座に判断していたら、歴史は変わっていたか??
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