Sai10はプロフィールで記述したように歴史に触れることが好きです。歴史は、人が作り、その時代の人がその場面に色んな判断をして、ある結果を得てきました。その判断が、判断をした人やその周りの人にとって、良かったのか・悪かったのか、はその判断をした後で判明します。結果を知っている私たち現代人は何とでも言えますが、判断をした当事者にとっては、乾坤一擲ではなく、熟慮断行の上での判断だったはずです。その人間模様に触れることに魅力を感じています。
そうはいっても古文ができないSai10は一次資料に触れることはしません。本や小説、テレビ等のメディアからの情報で当然その制作者の意図が入っています。しかし、Sai10は、それで構いません。どうせ、その情報からSai10も勝手に判断する訳ですから。コナン君でありませんが、“真実はひとつ”でしょうが、それは、本人に聞いてみないと判らないことも多いことでしょう。でも、それはもうできませんしね。
徳川家康は家臣の発言を聞いた
今年の大河ドラマの主人公は徳川家康です。大河での家康は、、いつも家臣に“殿、どうなさりますか”と問い詰められ?て、何とか、判断し、歴史が動いていくという正に“どうする家康”を元嵐の松本潤さんが醸し出しています。家康自身は、260年余続いた江戸幕府の開祖であるにも関わらず、歴史上人物として評判は芳しくありません。”狸“とか”薄情者“とか織田信長や真田幸村のような華々しさや潔さがまったくありません。ただ、これは家康に限ったことではないかもしれず、成功した人、TOPを目指せた人の共通項目として、優れた家臣団がいたということです。三河時代には西三河に石川和正、東三河に酒井忠次という2巨頭がいました。そして、武田家の旧領を引き継いだころから徳川四天王と呼ばれる酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政が家康の天下統一を支えました。四天王の他には徳川十六神将がいますが、ここでは詳細を省きます。
家康は、“どうする家康”の表題どおり、優柔不断で自分で判断することはなかなかできなかったようです。家康は自分には優れた才能がないと思っているため、彼は“自分はこうしたいからこうする”とは言い出しませんでした。有名なエピソードが関ケ原の戦いを決意した場面です。上杉討伐の軍を起こして下野(今の栃木県)小山に達した時に、石田三成が家康討伐のために挙兵しました。さて、家康軍はどうすべきか決めなければなりません。ここでも家康の家臣の本多忠勝や豊臣秀吉の子飼いの家臣の福島正則らが“三成を討つべし”と発言してくれたことで、東軍として関ケ原へ向かうことができました。このように家康は、何人かがいろいろな意見を述べたところで、“○○の意見が良いように思う”という言い方を、常にするのです。全員で評定に参加させ、全体に統一感を持たせたと言われています。このようにメンバーに発言させて、チームの進む方向性を明確に示す取り組みはいつの時代にも通じると思います。
チームメンバーの話を聞く-傾聴-
マツダの人事本部長である竹内都美子氏のコメントが日経ビジネスの4月10号に掲載されています。竹内氏は、EV車を作り上げる、という目的を達成するため、様々な部門のメンバーを束ねて、個々の力を最大限に発揮してもらうために3つの姿勢を重視したそうです。その3つとは、1つめは、相手を“尊重”すること。2つ目はその仕事に“感謝”を示すこと。3つめが、意見やアイデアを引き出すため“傾聴、つまり聞き役”に徹することです。この3つによって、メンバーに“心理的安全性”を担保しようとしたそうです。家康は特に3つめの”傾聴“ができていた。
“傾聴”が重要なのは、何事も(会議室ではなく)現場で起きているからです。現場に近いメンバーをその気にさせることが重要であり、これこそが何かに突き動かされないと突破できないような壁を乗り越えるための要諦のようなものと言えるのかもしれません。現場の担当者が、このチームでリスクを共有し、一緒に戦っていける!と感じることは、Sai10がいつも示すAsIsとToBeの間にあるGapを解決する原動力になるような気がします。
誠実であることと事実と意見をきちんと分けることは必要と思います。 自分自身がAuthenticに取り組むことは必要と思います。“自己中”だけでやると、上述した竹内氏の言う、“心理的安全性”がなくなり、メンバーの発言がなくなり、真の情報についての共有化が実現せず、チームが機能しなくなります。“知らない、判らない”という発言は重要と思います。
全てをできるわけではない -できないことは、できないと明言-
例えば、Sai10が所属する会社が携わっている製品の全てで設計を実際にしたことはありません。Sai10の設計経験のない製品のどの構造に弱点があり、どの部分に設計の余裕があることも実際に設計を実行した技術者には足元にも及びません。だから、Sai10は決して、“○○の設計はこうした方が良い”とか“△△を実現するための製造手順は××することが必要だ”とは決して言いません。Sai10自身が“判らない”ものは“判るふりをせず、判らないと表明する、”さらけ出しています“。設計するのは、設計技術者自身です。だから設計技術者は、その設計の意図を発言(Presentation)して、理解を求める必要があります。これがAuthenticな対応と思っています。この対応で”心理的安全性“を担保しようとしています。
正直言うと、部門長等役職者に対する”心理的安全性“と業務執行者の方に対する”心理的安全性“は少し分けていますが。。。これは、部門長等役職者のミッションはメンバーを介して成果(数字)を出すこと、つまり、成果責任者であり、業務遂行者であるメンバーのミッションと全く違うからです。
失敗の責任は明確にして次のチャンスに活かす
業務遂行者の失敗は、成長の糧にすることができれば、倫理や遵法に反しない限り見守ることができます。ただし、大切なのは、失敗したら責任を明確化しておくことです。ここの責任は、減給とか降格といった懲罰的なことを意味していません。“何でも失敗していい”という誤解を受けるような組織ではなく、策定したストーリー通りに行かなったところはどこにあり、次に同様な取り組みが必要な時には、前回の経験を踏まえた別なストーリーを立案したり、検討すべきリスクを加味したりするといった事項を“明確にする責任-今回はあなたの責任で失敗“があることを理解してもらうことは必要と思います。その上で、”でも、次のチャンスもあるよ“と伝えて、感情面の負荷を取ってあげます。これが、カーネルサンダースのいう、“人は論理により説得され、感情と利害によって動く”という“論理”と“感情”という二面性を示す一つの例になっていると思います。
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